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「余命」-乳がんの分子標的治療

  • 2011.01.1

乳がんによる悲劇が後を絶たない。つい最近も当教室の技術補佐員の方がこれにより命を落とした。三十代半ばで中学一年生を筆頭に3人の子供を残しての逝去あっただけにさぞ無念であったろうと胸が痛む。勤めていただくときから、乳がんを患っていたことは知っていたが、「仕事をしていたほうが気が紛れる」というご本人の強い意向もあって雇用した。何度かご本人から教授室でこっそり経過を聞いていたが、末期の状態であったため、何気なくお話を伺うことと、大学病院の乳腺外科の教授を紹介するぐらの貢献しかできなかった。誠実な人で淡々と仕事をこなしていたが、どこか生きることには諦めたような表情があった。このタイプのがんは、手で触れられるものがほとんどであるから成人女性に対する啓発活動がしきりに行われているが、まさか自分が、という意識が災いするのか、或いは子育て中心の生活となり自分のことはおろそかになるのか、手遅れで発見されるケースが少なくない。

 

乳がんは以前にも書いたが、欧米では女性の十人に一人が罹患し、乳癌患者のおよそ20%がこの癌で命を落とすため女性にとってその予防、早期診断は極めて重要である。アジア系の女性の頻度は少ないとされてはいるが日本人女性は罹患率が増加する傾向にあるため要注意である。様々な疫学調査から、妊娠・出産歴がない、第一子の後、母乳を与えない、初経年齢(月経が始まった年齢)が低い、閉経年齢が高い、ホルモン療法を受けている、飲酒、喫煙などがリスクファクターになることが知られているが、このような因子を持たない多くの人も乳がんに罹患するため、他のがんと同様、ある程度の年齢に達すると頻繁に検診を受ける必要がある。年齢と共に乳癌の発生する確率は高まるが、若年齢で発生した乳がんは、より進行が早い場合が多い。BRCA1やBRCA2遺伝子などのがん遺伝子と家族性乳がんとの関連も明らかにされており、乳がんは、遺伝子とがんの関連が最も研究されてきているがんの一つである。

 

乳がんは外科切除、化学・内分泌療法、放射線療法、分子標的治療などの治療法があるが、特に乳がん細胞の中にはエストロゲン依存性細胞があり、抗エストロゲン製剤であるタモキシフェン、アロマターゼ阻害薬などによる女性ホルモンをターゲットにした治療法があることが特筆される。最近、さまざまながんで、がん細胞が発現・産生し、がんの増殖進展の役割を果たすたんぱく質が発見されているが、それをターゲットにした、「分子標的治療」が盛んに行われるようになった。HER2たんぱく質は、正常細胞において細胞の増殖、分化などの調節に関与しているが、何らかの理由でHER2遺伝子の増幅や遺伝子変異が起こると、細胞の増殖・分化の制御ができなくなり、異常増殖を続け、がんが進展する。HER2遺伝子はがん遺伝子でもあり、多くの種類のがんで遺伝子増幅がみられるが、特に乳がんの進展に機能している。

 

ハーセプチンはHER2過剰発現が確認された転移性乳がんに対する治療薬として用いられが、HER2がん遺伝子によって作り出されるHER2蛋白に結合し腫瘍細胞の増殖を防ぐ抗がん剤である。がんの増殖などに関係する特定の分子を狙い撃ちする分子標的治療薬の一つとしてよく知られている。乳がんのすべてがHER2蛋白の過剰発現が認められるわけではないので、HER2過剰発現が確認された乳がんのみに対して術後補助化学療法が承認されている。このように、様々ながんに対して、まずそのがん遺伝子が過剰発現されているかを確認した後、分子標的治療法が盛んに行われようとしている。

妊娠とともに、子宮がんや乳がんが発見され、折角授かったわが子をあきらめなければならないことがある。妊娠中に乳がんがみつかり、究極の選択を迫られた女性がいる。映画、「余命」の主人公滴(しずく)である。外科医の滴(松雪泰子)は研修医のとき、乳がんを患い、手術で右の乳房を摘出している。乳がんを患っていることがわかった時、そばにいた同僚の良介(椎名桔平)は、彼女を支えたいと願い結婚を申し込み10 年目が経つ。悲嘆に暮れていた滴が胸を張って今日を迎えられたのは、夫の良介の愛の力が大きい。「もう大丈夫だろう」。滴も良介もやっと枕を高くして眠ることのできるようになっていた。良介は結婚当時は医師であったが、カメラの趣味が高じて今はフリーのカメラマンとして比較的自由な時間をもつことができ、忙しい滴のために「主夫業」もこなしていた。「もしかして滴が再発した時のために、比較的自由な身でありたい」という気持ちからの選択であったに違いない。そんななかで滴が妊娠したことがわかる。子供が大好きな滴はもちろん良介もひたひたと喜びが込み上げてくるが、やってきたのは幸運だけではなかった。妊娠が発覚した直後、滴は手術した右胸上部に違和感を覚えるようになっていたのだ。夜間、誰もいない超音波検査室で、自分の乳房にエコーを当てる滴。悪い予感が的中する。乳がんが再発していたのだ。若い女性の乳がんは前述のように、進行が早いものが多い。滴のがんはエコーの画像上、炎症所見を伴っており、明らかに悪性の顔をしていた。すぐに治療を開始しなければ助からない状態であったが、子供を産むためには、副作用の強い抗がん剤療法は受けられない。一人の体に宿る2つの命にどう優先順位をつけ、どう守ったらよいのか。医師である滴は、これが自分の患者であれば、子供をあきらめ治療に専念するよう勧めたに違いない。しかし滴は想像を絶するような葛藤の中で、夫にも誰にも言わず、まずこどもを産む道を選択する。子供が大好きだという滴の性格も大いに選択に影響を与えたに違いない。丁度出産時期に三カ月ほど、沖縄の鳥島に取材旅行を依頼されていた良介は、キャンセルするつもりでいたが、滴は強引に引き受けるように懇願する。夫が不在となった中で滴は次第に進行していくがんをかかえながらもなんとか出産までこぎつけたが、たった一人でゴールにたどり着いた滴にはもう余力は残っていなかった。取材から家に帰ってきた良介のまえには、憔悴しきった滴と元気な男の子がいた。滴のがんは末期を迎える。最期は滴が育った奄美大島で子供と3人で迎えるが、良介はその地で息子を男手一つで開業医をしながら育てる道を選ぶ。

 

滴の選択の是非を巡っては大いに議論が分かれることであろう。どんなに子供が大好きな配偶者でも多くは、末期のがんと分かっていても妻の命を守るために最善を尽くす道を選択することを願うであろう。産んだ子供を自分が育てられないことが分かっていながら、夫に子供を残して逝っても大丈夫なのか。もしかしたら、まだ若い夫にはいい人だってできるかもしれない。しかし、滴は最期に良介にこう語る。「貴方が私のことをどんなに好きでいてくれるか、そして私があなたをどんなに愛しているか・・・。だから、どうしても私を残したかった」。滴は医師であり、乳がんが発見された時点で、進行しすぎており、戦うことの無意味さを自覚していたこともこの選択を後押しした可能性がある。
最近、我が熊本大学医学部にも女学生がどんどん増え、40%を超えようとしている。いろいろなタイプの女学生がいることは確かだが、総じて、昔と比べ物にならないくらい美人が多く、勉強ばかりして大学に入ってきたものが多いため、純粋、単純で男を知らず危なっかしい。女医は大変だ。生物学的な適齢期と、医師として最も勉強しなければならない期間がほとんど合致してしまうからだ。結婚して出産後、母、妻、医師の三業のどれも百点を取ることなど至難の業であり、どれかがおろそかになる。理解のある伴侶を見つけないと、すれ違いの生活の中で疲弊してしまう。だから医師同士の結婚の場合、離婚率が高くなる。彼女たちが三十代の後半にさしかかり、滴のような状況に立たされたとき、後悔しない選択ができるほどに心の成長を遂げていてほしいものである。

Copyright© Department of Neurology, Graduate School of Medical Sciences, Kumamoto University.