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「少年H」-肥満関連遺伝子
- 2016.02.1
熊本大学大学院生命科学研究部、神経内科学分野 安東由喜雄
映画「少年H」(降旗康男監督)はもう多くの日本人が知ることができなくなってきている太平洋戦争突入直前の昭和の神戸の描写から始まる。「少年H」こと肇(吉岡竜輝)少年は仕立て屋を営んでいる真面目で誠実な人柄の父盛夫(水谷豊)と、敬虔なクリスチャンであり、「愛は寛容にして慈悲あり」を旨として生きているような母・敏子(伊藤蘭)に育てられている。当時の日本は向こう三軒両隣のコミュニケーションがしっかりしていて、多少の諍いがあっても仲良く助け合いながら暮らしていた。少年Hの家は、神戸に多く住んいた外国人のための洋服の仕立てを引き受けていたこともあり、普通とはちょっと変わった家庭であると思われていた。しかし両親の人柄の良さもあり、時代が戦争に向かってまっしぐらに進んでも、とりあえず平穏は保たれていた。父はある日、肇少年のために胸に大きく「H」のイニシャルが入ったセーターを作ってくれた。肇少年は、父の仕事を誇りに思っていたし、立派なイニシャル入りのセーターも嬉しかった。だから彼はいつもそのセーターを着ていたが、いつしか仲間から自然にエッチというあだ名で呼ばれるようになっていた。当時から、父の仕事の関係や、母の教会活動のため、家族グルも出外国人と付き合うことが多かったが、そのことが後で災いすることになる。
肇少年はいつも明るく好奇心旺盛で、素直に育っていっていたが、戦争へとまっしぐらに進ん行く日本の世相の中で、オペラ音楽のことを教えてくれた青年が特別高等警察に逮捕されたり、英語が禁止されたり、はたまた外国人がどんどん帰国するようになっていくと、さすがに肇少年の心にも得体の知れない暗雲が立ち込めるようになっていく。そんな中で両親が親しく付き合っていた神父がアメリカに帰国し、肇少年にニューヨークを紹介する一通の絵葉書を送ってくるのだが、彼はエンパイヤステートビルをバックにしたニューヨークの街並みを目のあたりにして、先進国アメリカの大きさに息を飲んだ。肇少年はその驚きを友達に伝えようとその絵葉書を友達に見せるが、それがきっかけとなり、父にスパイ容疑が持ち上がり、特高警察から何日も拘束され、ひどい拷問を受けることになる。肇少年自身もクラスメートから「スパイ」などと落書きされ絶望感を味わうし、教官には再三暴力を振るわれ散々な日々が続くことになる。
しかしそんなことなど小さな出来事と思える大事件が起こる。昭和20年3月の神戸大空襲である。父は仕立て屋では生計を立てることができなくなっていたため消防団に入っており、その夜は不在であった。アメリカは日本を本当に良く研究していた。紙と木でできている日本の家は燃えやすく、街中に焼夷弾を落とし火事を起こせばすぐに延焼し、瞬く間に廃墟になる。肇少年の住む界隈も焼夷弾でたちまち火の海となる。そんな中で肇少年が最後までこだわったのは父が一番大事にしてきたミシンである。彼はそれを母と一生懸命運び出そうとするが力及ばず、結局体一つで逃げることになる。この映画は、伸び伸びと育つことが困難な時代にあっても、信念と優しい心をもって生きている父、慈悲の心をもって生きている母に育てられ、仲間のいじめや教師の暴力あっても力強く前向きに生きる少年の姿が描かれていてすがすがしい。
やがて終戦が訪れる。家族は焼け野原になった神戸の街で、隣の声が筒抜けの木造の長屋で生活することになるが、成長盛りの肇少年や妹を持ち、余裕など何もない状況の中で隣人にご飯を提供する母の姿が描かれている。終戦前から戦後の混乱期にかけて、人々の生活は圧倒的に貧しく苦しかったし、中には餓死した人もいる。そんな中で成長盛りの子供たちは本当に正常に成長を遂げたのかといった問題が残る。少年H役の吉岡竜輝君が演技力は大いに買えるが、福々した少し太り気味の健康優良児であった点はキャスティングに違和感を覚える。
ところで第二次世界大戦中にナチスドイツの迫害を受けたヨーロッパ各地のユダヤ人も悲惨であった。今も昔も子供は小さく生んで大きく育てるのが良いとされるが、ナチスドイツの支配下にあったオランダのユダヤ人が生んだ子供は栄養失調のため必然的に小さく生まれ小児期も大きくなれなかった。彼らは、「アンネの日記」に描かれているように、地下室にこもり食べることができるものは何でも食べた。チューリップの球根すら湯がいて飢えをしのいだという。こうした子供たちは現在高齢者となりつつあるが、最近、こうした人々を対象にした驚くべき調査結果が論文となり世の中を驚かせた。迫害を受けた時期に生まれた子供は、成人した後、肥満・糖尿病・高血圧・心臓病などの生活習慣病を発症する率が極めて高いというのである。わが国でも老人に生活習慣病がどんどん増えているように思えるのは、同様に戦中・戦後にかけて重度の飢餓状態が続き、そうした時代に幼小児期を送った人が多いことも無関係ではないのかもしれない。
最近の研究から妊娠時に母親の飢餓状態が続くと、胎児の体に肥満関連遺伝子が発現し、栄養を過剰に蓄えようとする反応が起こることがわかっている。栄養失調の中で生き延びた赤ちゃんの多くが胎生期、幼小児期に肥満関連遺伝子を強度に発現し、そのため成長するにつれ、明らかに生活習慣病になる可能性が高くなるとされる。そもそもこうした肥満関連遺伝子の発現は、つい最近まで飢餓状態の中で生きなければならなかった人類が、摂取した栄養を少しでも効率的に貯え、生き延びるための重要な生体防御反応であった。現代の食生活の中ではその反応が仇となることは言うまでもない。
日本の多くの女性は美しくありたいという思いから過度に肥満を気にしている。圧倒的に多くの女性が体重はまるで最も重要なプライバシーであり、肥満は悪であると言わんばかりに、自身の身長は答えても体重は答えない。痩せていることイコール美しさなどという誤った考えは一体どこから生まれたのであろうか。こうした体重に関する集団ヒステリー的な現象は、日本人にとりわけ強くみられるもののようであり、馬鹿げたことであると言わざるを得ない。アメリカやヨーロッパを一度旅してみると、飛行機の座席にはまり切らないほどの中年肥満女性をしばしば目にすることがある。そんなとき、我が日本人のコケティッシュな美しさを実感するものだ。日本女性は今のままで十分美しいのだ。
一方で摂食カロリーを抑えると、サーツイン1遺伝子が強く発現して長寿になるとする研究が注目されてきた。この学説には異論を唱える学者も少なくないが、今も一部の研究者に強く支持されている。サルを用いた実験で、カロリー制限をして長期間飼育すると生存率が有意に高くなるとする結果を紹介した論文には、多くの医学者が驚いたものだ。この研究を根拠に、このサーツイン1遺伝子の発現を促すとされるレスペラトロールという製剤が、アメリカのどのドラッグ・ストアでも売られ長寿を目指す人々が買い求めている。
こうした情報を集約すると戦中戦後に幼小児期を送った今の日本の老人は、今の飽食の時代の中にあって、生活習慣病になりやすいが、それを克服できれば長寿になる運命にあるということになる。彼らは、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病などの病気と格闘し苦しみながらも、頑張って長生きしようとしている。結果、超高齢化社会が構築された。
現代は信じられないほどのスピードで文化が変化し、驚くような災害が起こっている。この環境変化は明らかに人災であることを多くの学者、調査機関が証明している。他方病気の治療や予防には医学が大いに貢献し世界一の超高齢化社会が到来したこの新たな社会は、新たな施作を作らなければ破綻する。医学研究は本質的に何のためになるのかを問い直さなければならない時期に来ている。