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「アイ・アム・サム」-自閉症-
- 2008.04.1
21世紀は脳の世紀といわれる。アルツハイマー病やパーキンソン病などの脳の変性疾患の研究はかなり進んできているが、それに加えてこれまでまったく病因のわからなかった統合失調症やうつ病の発症や病態に関連した遺伝子が少しずつ明らかにされ、こうした疾患で脳が正常に働かない原因との関連が語られ始めている。こうした研究には遺伝性疾患の遺伝子研究がいろいろな情報を提供することは言うまでもない。広範な精神神経状態、遺伝性精神異常の主な原因であるFragile X、早期には正常に発達するが、次第に脳・頭部の成長遅延を来たし、けいれん、精神遅滞を生じるRett症候群などの疾患は広範な精神異常が存在するが、こうした疾患の遺伝子異常やそれによって起こる病態に関する研究が、一つひとつの細胞が異なる脳の統合機能の異常を説明するために情報を与えている。
自閉症は、統合失調症やうつ病と少し経路の違う脳の異常と捉えられる。特徴としては反復言動、社会的障害、コミュニケーション力の障害などが挙げられる。部分的な認知機能障害に加えて、映画「レインマン」や「シャイン」に描かれているように、一部の極端に卓越した才能と、一部の減弱した能力が混在した症状の患者が認められる。どうしてこのようなことが起こるのか。これまであまり進展がないかにみえるこの分野の研究も、病態解明に向けて動き始めている。サウスウエスタン大学のトーマス教授は、これまで自閉症関連遺伝子と考えられていた変異型のneurologin-3遺伝子を正常マウスの脳に発現させたところ、ヒトの自閉症にみられる症状、行動異常が出現したと報告している。さまざまな難病の治療研究は、動物モデルの開発が不可欠である。今後このneuroligin-3遺伝子の機能とマウスの病態解析が進むと自閉症の有効な治療法の開発につながるのではないかと期待されている。
自閉症のサム(ショーン・ペン)には、ホームレスの女性レベッカとの間にできてしまったルーシーという可愛い6歳の娘がいた。こともあろうにレベッカはルーシーを生んですぐ失踪してしまい、サムは一人でルーシーを育てなければならなくなった。サムはスターバックスの掃除係として働きながら一人残された乳児のルーシーを見よう見真似でゼロから育てる羽目になる。サムはオムツの替え方もわからないし、乳児が2時間ごとにおなかをすかせることすら知らない。途方にくれるサム。しかし隣人の元ピアニストで外出恐怖症のアニー(ダイアン・ウィースト)にも助けられながらなんとかルーシーを6歳まで育てることができた。サムには二つの卓越した「才能」があった。ビートルズのことなら何でも知っており、歌詞を何でも覚えていること、折り紙のテクニックはずば抜けており、素敵な折り紙で作った動物や花をルーシーのために折ってやることであった。幸いにもルーシーはサムの自閉症の体質は遺伝しなかったようで、すくすくと育っていった。
以前いた施設でのサムの知能テストでは7歳児程度の知能しかないと判定されていたが、ルーシーとサムの親子の関係にはどうでも良いことのように思われた。ルーシーはこんな環境でも利発に育ち、サムをまるで恋人のように愛し、慕っていた。サムが他の父親とは違うことは理解していたが、サムの父親としての深い愛を体で感じ、理解して育っていった。しかしルーシーはやがて7歳になり、サムの知能を追い越すようになる。サムに彼女を育てる力はあるのか、育てる権利があるのか、そんな問題が起こるのは時間の問題であった。映画「アイ・アム・サム」(ジェシー・ネルソン監督)の話である。学校に通うようになったルーシーはどんどん学力がついていくが、サムがそれについていけない。宿題の相談にも答えてやれない。そして次第に問題が表面化するようになっていく。児童福祉局のソーシャル・ワーカー、マーガレット・キャルグローブは、サムには養育能力がなく、ルーシーの将来のためには彼女を施設に入れ、里親に預けるべきだと考え行動を起こす。突然窮地に陥ったサム、ルーシーはことの重大さが今一つつかめないのか、無心にサムと親子の愛をはぐくもうとする姿が痛々しい。仲間の薦めで彼は法廷で闘う決意を固め、巨額の費用がいることも考えず、エリート弁護士のリタ(ミシェル・ファイファー)に依頼しようと考えた。自分が社会奉仕のために弁護もできることを見せつけるために弁護を引き受けたリタだったが、どう考えてもサムには不利な裁判に気持ちがくじけそうになるが、次第にサムの人間性に魅せられている。障害者の友人たちはルーシーの今後の人生にサムが必要であることを裁判で論理的に証言ができないため、隣人アニーに証言を頼むのだが、外出恐怖症の彼女は、相手の弁護士にやり込められて落ち込んでしまう。
一方、サムとルーシーは親子の絆をますます深めていく。サムは結局、条件付きで親権は認められたものの、ルーシーは里親のランディ(ローラ・ダーン)らと一緒に暮らすことを義務付けられてしまう。30歳代の子供のないランディ(ローラ・ダーン)夫婦は一生懸命ルーシーを愛し、わが子のように大事にし、そのままルーシーはこの夫婦に溶け込んでいくかのように見られたが、サムはルーシー会いたさ一心で、ランディーの家のすぐ近くに引っ越してしまう。それを知ったルーシーは毎晩、寝床を抜け出してはサムのアパートに行くようになる。サムはそれを制止しようとするが、最後はルーシーの父親への思いが勝ることになる。今さらながら二人の絆の深さに気づいたランディは、法廷で自分達夫婦こそルーシーを経済的にも精神的にも社会的にも守ることができる存在である、という当初予定していた証言を放棄し、ギブアップ宣言をするのであった。
大林宣彦監督の「転校生」は、アクシデントで男性と女性の人格が入れ替わってしまった仲の良い中学生男女のひと夏の御伽噺のようなエピソードを、コミカルに描いた邦画の名作であるが、「事件」が解決した後、転校していく男生徒のバスを、別れを惜しむ女性徒が、必死で走って追いかけるシーンで終わろうとする。「さようなら、さようならー」…しかしその後、追いつかないと悟った瞬間、彼女は涙を見せるわけでもなく、くるりと反対側に向かって何事もなかったように歩き出すのである。このシーンは子供というものの特性を良くあらわしていると思う。
子供はちょっとした事件でも、その悲しみをわが身の一大事と全身で表現し、泣きじゃくる。しかし少し時が経つと、ちょうど「転校生」の女性徒のように、まるでそれまでの記憶がなくなったように、再び遊び、笑いだす。しかしそのスポンジのような心の柔軟さが年とともに失われ、思い出、恨み、辛みがしみのように残り、年を取ると心も頭も固くなっていく。それが老化というものなのだろうか。ルーシーはサムが近くに越して来さえしなければもしかしたら愛のあふれた里親夫婦と、サムへの思慕は残りながらも幸せに暮らしたのかもしれないと思われるが、サムの娘への直向な愛がそれを阻んだ。映画はハッピーエンドで終わっているが、実際の社会生活で、自閉症という病気の負の部分を考えると、これが本当に幸せな結末だったのだろうかと正直なところ疑問に思う。
遺伝するとは、そもそも親の形質を受け継ぐことを意味する。われわれ遺伝性疾患の治療を研究している学者の究極のゴールは、万が一その遺伝が病気を引き起こしたり生きていくことに不利な遺伝子であったとしても、親の形質を誇りに思って天寿を全うできる状況を切り開いていくことにあることは言うまでもない。