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「さざなみ(2)」-健康長寿と進化-
- 2018.09.18
アミロイドという名前は、今から170年程前、ドイツ人のウィルヒョウによって、組織の中に存在するヨードで着色する無構造質に対して名づけられた。日本語ではこれを類でん粉質と呼ぶが(Amy≒でんぷん、loid:ようなもの)、れっきとした蛋白質の塊である。このアミロイドを形成する蛋白質は、アルツハイマー病のβたんぱく質、プリオン病のプリオン蛋白質、関節リウマチなどの炎症に伴って起こるAAアミロイドーシスのSAA蛋白質、家族性アミロイドポリニューロパチーを引き起こすトランスサイレチンなど36種類もの蛋白質が知られており、それらが作るアミロイドによっておこる病態をアミロイドーシスと呼ぶ。蛋白質がアミロイドとなる現象は、言ってみれば蛋白質の老化と言い換えることもできる。加齢と共にくたびれた蛋白質がまるでゴミくずの様にアミロイドとなって臓器に溜まり病気を引き起こす。これがアミロイドーシスだ。この病気は増加の一途を辿っているが、それは、発症に老化が強く関係しているこの病気が、超高齢化社会の到来とともに老人が増えていることが深く関係している。
映画「さざなみ」は初老の夫婦の夫が、若い頃、アルプスの旅行中にクレバスで足を滑らせ万年雪の中に消えた恋人が、地球温暖化のためか数十年ぶりに見つかったことに端を発し起こった「さざなみ」による夫婦の愛情の危うさを見事に描いているが、同じくアルプスの万年雪の中から見つけ出された5300年前に生活していた「アイスマン」青年は、やせ細り、体のいたるところに怪我を負い、お腹に感染症による膿瘍をもっていたことが知られている。まさに人類の歴史は飢餓と怪我、感染症との戦いであったことが推測されるが、これに対しヒトは、進化の過程で何種類もの血糖上昇ホルモンを獲得し飢餓を凌ぎ、自然免疫、獲得免疫のシステムを手に入れ感染症を防御し、猛獣や部族間の抗争で流血が絶えない中で、即座に血栓を作る複雑な凝固系カスケードを備えることで効率的に失血を抑えてきた。
一方で、アミロイドーシスという疾患は、ほとんどが中年期以後に発症する病気で、20世紀前半まで50年も生きなかった人類には全く問題にならなかった想定外の病気だと言える。
今から約110年前、52歳の女性がドイツ人アロイス・アルツハイマーのクリニックを訪れた。彼女は、「夫が浮気している」と嫉妬妄想をもって来院したが、その後死亡し、脳の解剖が行われた。脳のいたるところにパス染色で陽性に染まる塊があった。これがアミロイドの塊、老人斑であり、世界初めてのアルツハイマー病の剖検報告である。当時のドイツ人の平均寿命は45歳と推定されており、50歳代後半で死亡したこの女性は当時は高齢ということになる。20世紀前半まで人類がほとんど経験してこなかった病気の一つがアルツハイマー病ということができる。
もう一つ、これから人類を悩ませることになりそうな病気が老人性全身性アミロイドーシスである。この病気は70歳を過ぎた頃から心臓、肺、腱、靭帯などに正常のトランスサイレチンがアミロイドとなって沈着し臓器障害を引き起こす。特に心臓にアミロイドが溜まり始めると心肥大、不整脈などを起こし心不全となる。我々の研究から日本人の80歳以上の老人の15%前後にこのタイプのアミロイドが溜まっていることがわかっている。107歳、108歳でそれぞれ死亡したきんさん・ぎんさんはこの病気で死亡したことが彼女たちの臨床症状や剖検結果から明らかになっている。「きんさんぎんさんが長生きできたわけ」(あけび書房)には心臓に大量のアミロイドが溜まり、それにより著しく肥大したぎんさんの心臓の写真が掲載されている。
スーパーセンチネリアンとは110歳以上の老人を指すが、「Nature」などに掲載されたいくつかの論文には、彼らの多くはがんも心筋梗塞も脳卒中もないが、心臓に正常のトランスサイレチンによるアミロイドが大量に溜まり、それが死因だと記載されている。「人類はいずれ多くの病気を克服するであろうが最後に残る病気はこの老人性全身性アミロイドーシスであろう」と締め括られている。なぜ超高齢になってこういう病気が起こるのか。その理由の一つはヒトの身体がアミロイドが溜まる現象に対抗する防御システムを未だに手に入れていないからだ。ヒトは前述の様に病気を引き起こす喫緊の課題に対してその都度進化し巧みに防御系を獲得してきたが、高齢で起こる病気の防御システムは未解決である。
我が国の平均寿命は昭和20年になっても未だ60歳にははるか届いていない。しかし、戦後またたく間に平均寿命は延び、もうすぐ90歳に届くところまで来ている。急速に長寿になってきた状況の中で、高齢で起こる難病に対し進化が追い付いていないことが一因である。ヒトが一つの新たな遺伝子、たんぱく質を獲得するのに数千年はかかるとされているが、何万年かたってやっと人類はアミロイドを処理するシステムを手に入れることであろう。しかしその時まで待てるはずがない。「人生100年をいかに生き抜くか」、などといった特集がマスコミで盛んに取り上げられる様になったが、これらの病気とどう向き合い戦うかは人類の最大の問題である。
閑話休題。私は今、このアミロイドーシスという難病を研究する研究者、臨床医が集う世界アミロイドーシス学会の理事長をしている。つい最近、とんでもない事件に巻き込まれた。「国際振り込め詐欺」と言うような事件だ。ある日Ando Yと名乗る人物からこの学会で財務担当理事をしているアメリカの有名大学の教授に「メキシコで新たに学会をするので、1万ドルを振り込んでほしい・・・。 国際アミロイドーシス学会理事長 Ando Y」というメールが届いた。こともあろうに、この教授は、翌日私に何の確認もとらないままあっけなく要求額を振り込んでしまった。これだけでも信じられない話だが、この手紙の主は、味をしめ、1万5千ドル、2万5千ドルとメールで次々に振り込みを要求し続け、この教授はその都度学会の金庫からご丁寧に要求額を振り込んでしまった。まったく開いた口が塞がらない。あわててFBIに捜査を依頼したが、あとの祭りである。
アメリカの振り込め詐欺の実態はよく知らないが、こんな事件が日常茶飯事の様に起こっているアメリカにあって、初歩的な嘘を見抜けない学識のあるアメリカ人がいることに驚くし腹が立つ。送り主のメールアドレスが日本のものを表すJPでなかったことがせめてもの救い?ではあるが、明らかによく確認すれば得体のしれないメールである位は判るはずである。下手をすると私が自作自演したと疑われても仕方ない危ない話でもあった。
人は、年を経るごとに瑞々しい感受性と判断力が鈍って行く。件の初老の教授は正に魔がさしたという他はないが、(3回も続けて魔がさすことがあるのかという気もするが、この教授の脳に老人班が溜まっていないことを祈る限りである。)今後、老人を標的にしたこの手の事件が世界レベルで横行して行くことはまず間違いない。樹々が古くなった葉を落とし、冬に滋養をたくわえ、春に花が咲き若葉萌えいずる季節が来るように、ヒトもある年令が来ると落ち葉にならなければならない。もしかしたら落ち葉の役割としてプログラムされた病がアルツハイマー病であり老人性アミロイドーシスであるのかもしれない。
戦争を体験した後期高齢者は、戦争中の悲惨な体験を耐え忍んだあと強く生き抜く力を獲得し100歳までは生きるつもりで意欲満々である。しかし今のスピードで後期高齢者が増え続けるとまたたく間に認知症患者が増える計算になる。認知症患者が世界で一億人を突破するのは時間の問題で、人類が近い将来抱える最大の問題であることは間違いない。アルツハイマー病に関しては、一刻も早く根治治療を見つけ出さなければ社会が立ち行かなくなることは確かであるが、こうした疾患の治療に果敢に挑戦することが遠い将来、ヒトの社会に果たして本当に福音をもたらすかについては疑問を感じることがある。