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「プレシャス」-長寿遺伝子
- 2010.11.1
乳児死亡率、結核をはじめとする様々な感染症、傷の回復など、低栄養は諸悪の根源であり、十分な栄養摂取は長寿の基本とされてきた。実際、病気をすると食欲が低下し、入院患者の中には、主治医が原疾患の治療に集中するあまり、栄養のことまで頭が回らず、低栄養状態となり、創部の治癒の遅延、様々な合併症、褥瘡などのために命を落とす患者がいることも事実である。だから今、総合病院では「栄養サポートチーム」なるメディカル、コメディカルの横断的チームの活動が奨励され、厚労省はそれに加算がつくような仕組みを作っている。実際、栄養不良が嵩じると、免疫を司る細胞、たんぱく質が十分に産生できなくなり、「窒素死」と呼ばれる栄養不良が原因による死が招来される。だから低栄養は悪であるという概念がつい最近まで支配的であった。しかし、健常人においては、過食が生活習慣病をはじめとした様々な疾患を引き起こし、様々な病気を引き起こすことはつとに知られたことであり、あくまで過ぎたるは及ばざるが如し、効率よく生きることが重要であることは昔から普遍的な事実のようである。
最初この事実を知ったときは大いに違和感があったが、最近の様々な研究結果はそれを裏付けるものが多くみられる、低カロリーが長寿をもたらすというのだ。マウスを通常必要とされている70%ほどのカロリー量で飼育すると通常のカロリーを摂取したマウスより明らかに長寿がもたらされるとする報告がなされて以来、様々な追試実験行われ、低カロリー=長寿という概念は普遍的な真実になってきている。生活習慣病にかかっていることがわかっていながら、多くの人が食事を制限できないのは、ずっと乏食の中での生活を余儀なくされてきた人類の「食べる」ことに対するあくなき本能が、遺伝子に刷り込まれ続けてきたあかしなのであろうか。
では何故低栄養にすると寿命が延びるかを説明する必要があるが、この現象をもとに、科学的な観点から様々な研究が行われてきている。最近の研究から、低カロリーで細胞を培養したり、低カロリーの食事をマウスやラットなどの齧歯類の動物に投与するとSirt1という長寿に関連した遺伝子が発現することが明らかになってきた。この遺伝子は低カロリー下で強く発現し、インスリン分泌を抑制し、インスリンシグナルに関連する遺伝子発現を抑制し、結果として長寿へと導くという風に考えられている。こうした研究は酵母を用いた試験管の実験でも盛んに実証されてきている。面白いことに酵母では、赤ワインの主成分であるポリフェノールがこの遺伝子を活性化することが明らかにされている。実際を酵母、線虫などにポリフェノール類縁物質を投与するとカロリー制限無しに長生きすることが分かった。ヒトの場合、赤ワインは飲みすぎるとマルキア・ファーバ・ビグナミ病という脳幹が広範に障害される病気が起こることが知られているが、適度に飲めば長寿がもたらされるのかも知れない。
この長寿理論をヒトで実証するのは八十年以上かかってしまうが、サルなら少しは短縮できる。そこでヒトに最も遺伝子の近いチンパンジーを使って、果たして通常のチンパンジーが必要とする70%での飼育を行い、長寿になるかといった実験が行われているが、それでもチンパンジーの平均寿命は30年くらいなので、ずっと後世にこの結論が出ることになる。気の遠くような実験だ。
アメリカ社会の中で皮膚の色が黒いということが問題にならないのは、極言すると、芸術、文化、科学、スポーツなどの限られた分野で秀でた能力をもつか、何らかの手段で金持ちになるしかないのは明白である。逆に特別な才能も、教育もお金もコネもない社会で黒人がアメリカ社会を生き抜くことがどれほどのものであるか、想像に難くない。白人以上に、徹底して努力して生きるか、あきらめて放蕩生活を送るかー極端に言うとそうした選択となってしまう。「貴重(precious)」というミドルネームを持つ16歳のクレアリース・プレシャス・ジョーンズ(この役を演じたガボリー・シディベは一般人からスカウトされている)は、その名前が皮肉としか思えないような過酷な人生を送っている。12歳で父にレイプされ、ダウン症の子供を産み落とした上、16歳で今また父の子供を身ごもっている。何という極悪非道な父親であるかと思うが、それを見過ごしてきたのは、無責任な母親である。数々の国際的な映画賞を手にした映画「プレシャス」の話である。
その父は今は行方をくらまし、どこにいるかさえ分からない上、母は投げやりで激しい性格で、プレシャスをののしり、暴力を振るう。「お前のような能無しが学校に行くのは何の意味もない」と怒鳴っては、母のために夕食を作っているプレシャスの頭をめがけてものを投げつけ、気絶させたりもする。おまけにプレシャスは、とてつもない肥満であるが、彼女が母親と自分のために用意する夕食は油たっぷりの揚げ物である。当然のように両親から教育の重要性を教えられていないプレシャスは、かろうじて数学はわかるが文字も読めない。困ったことに、母親同様父からエイズを移されていることまで判明する。
プレシャスは、ある日学校から妊娠していることを理由に放校になるが、自暴危機になっている彼女は、勧められるままに個人学級に通うようになる。そこはプレシャスのように何らかの問題を抱えて普通の学校に通えなくなった高校生のための学校であった。はじめは乗り気のしない学校であったが、わけありの境遇を持つ仲間たち同士で連帯感が芽生え、おまけにプレシャスを正面からしっかりと受け止め対峙してくれるレイン先生がいて、彼女の闇に閉ざされた心は次第に開かれていくようになっていく。プレシャスは、この学校に通うまでは、現実から逃避した空想の世界に浸ることが多かったが、レイン先生はプレシャスに文字を覚え、現実を見つめることを教えるため、作文を書くことを勧める。ゆっくりでも思いを文字に、そして言葉にすることを覚え始めた彼女は、それまでに感じたことのない確かな自分に目覚めていく。
そして2人目の子供が生まれる。母は、生活保護や育児補助などをもらおうと家出をしたプレシャスを探し出し、付きまとおうとするが、新たな自分を持ったプレシャスはそれを振り払い、生まれたばかりの子供と二人の人生を生きようとする。その人生は過酷なものに違いないが、運命に翻弄され、鬼畜と化した母と暮らすよりずっと素晴らしい人生となるであろう。
プレシャスは未だ16歳で、生活苦から外見を気にするゆとりがない上、肥満が悪であるという概念すらないのであろう。欧米に行くと日本ではほとんどお目にかかれないような超肥満者に遭遇することがある。そうした人が飛行機の隣の席にでも座ろうことなら短時間なら良いが、長時間の国際線は息苦くなる。彼らはいつも何か口にしていないと持たないような感じであった。肥満になるはずだ。太るのには、様々なやむに已まれぬ理由がある場合が多いのであろうが、これからは自己管理のできないものは組織の管理もできないとされ昇進できない時代がやってくる。「腹八分」が健康につながるとする言い伝えは、どうもヒトがその長い歴史の中で経験的に学んできた普遍的な事実のようである。それにしても「腹七分」が本当に良いことが浸透すると食糧危機や環境問題も好転することは間違いない。しかし「腹八分」ならまだよいが、「腹七分」になるとかなり空腹なはずで、多くの人は我慢できないレベルであろう。先進国に住む人でいったいどれほどのものがこれを実践できるかは大いに疑問が残る。第二次世界大戦は、ある意味で空腹との戦いであったといわれるが、その時代を経験した日本人はトラウマのように腹いっぱい食事をしないと満足しない人が少なくない。それと同じように38億年のヒトに至る進化の過程で、生物はそれほど空腹にさらされてきたのだ。