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「127時間」-遺伝性ニューロパチー
- 2011.09.1
アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は、エンジニアとしての仕事を終えたある金曜日の夜、コロラド州、ブルー・ジョン・キャニオンで大好きなロック・クライミングをするために、はやる気持ちを抑えつつ、慌ただしく準備を始める。映画「127時間」(ダニー・ボイル監督)の始まりである。ロック・クライミングは、小さい頃、父に連れて行ってもらって以来大好きになった。土曜日の早朝、車で目的地に向かった後、晴れ渡る空のもと、原野をマウンテンバイクで行ける所まで駆け抜け、後は歩きながら何万年も前に形作られた、岩や洞窟を一人で登り降りしながら、クライミングを楽しんでいた。彼は、まるで自分の庭のような歩き馴れた原野をホップするような軽い足取りで駆け、自由な空気を満喫していた。途中道に迷った2人の若い女性と合流し、岩間にできた洞窟で泳いだりして時を過ごしたが、結局一人が好きなアーロンは単独奥地へと向かった。広大な大地と岩、岩、、目的地はない。どんどん歩いていくアーロン。とその時突然、岩に足を滑らせ、1トンはあると思われる岩と共に谷底に落ちてしまう。岩は彼の上腕部分にのしかかり、どんなにもがいてもその腕は自由にならない。前腕は動くが上腕が挟まれ、次第に上腕から指先にかけて虚血になっていく。人っ子ひとりいない渓谷の奥地で助けに来る者もいない。アーロンは、頭初錯乱状態であったが、これまでもこうした危機を乗り切ってきた経験があるのか、次第に落ち着きを取り戻していく。試行錯誤する中でアーロンはまず、持っていた万能ナイフで岩を削り取り始める。しかしすぐにそれはほとんど何の役にも立たないことを悟る。日曜日になり次のチャレンジが始まる。今度は持っていたクライミングロープで岩を吊り上げようと格闘するが、屈強なアーロンの力を持ってしても、大きな岩はびくともしない。渓谷は夜になると昼間の暑さが嘘のように寒い。そして突然のように雷雨が襲う。そんな中で腕の痛み、空腹に耐えながら試行錯誤を重ねるアーロン。そして最後は口渇との戦いとなる。用意していた1リットルにも満たない飲料水は次第に尽きていった。月曜日、遂に給水袋に貯めておいた自分の尿も飲み干し、闘おうとする意欲も薄れ、意識も薄れ始めていった。数々の思いがまるで走馬灯のように悔恨の情と共にアーロンの心に蘇ってくる。恋人のナラのことはずっと思いを寄せていたのに、なぜか心を開けずにいた。両親にも、必ずしも優しくできず、友達にも辛く当たったりしたこともあった。火曜日、水曜日と時間が経つにつれ、いよいよ体も心も弱り、ついに木曜日の朝を迎える。薄れていく意識の中で、力なく死を意識したその時、アーロンの心に突然光がともり、笑っている小さな子供の姿が現れる。それは他でもない、こんなアクシデントに見舞われなければ、生まれていたはずのまだ見ぬアーロンの子供の姿であった。それはアーロンの心をかり立てる最後のモーチベーションとなった。この絶体絶命のピンチの中で、アーロンは最後の力を振り絞って自分の腕を渾身の力で切り取り始める。未来の家庭、フィアンセ、未来の子孫のために。アーロンは激しい痛みに耐えながら、格闘の末、ついに骨を切り、神経を切断し、右腕を切り落とす。アーロンは漸く岩間の拘束から解放される。
今から30年近く前、熊本大学を卒業した私は、ナンバー内科に入局した。今考えると良くあんな生活ができたものだと思うほど、よく泊りがけで重症患者の管理をしたり、薄給の中、学会に行くお金を捻出するのも四苦八苦したため、大学の患者の様態に後ろ髪をひかれながら当直にもよく出かけたものだ。今とは比べものにならないくらい円が安かったため、一回の海外出張で50万円は失われ、酷いときは年に2、3百万円は学会の出費に費やされたこともある。家計は当然のことながら苦しかったが、それでも勉強したかった。自分の出した研究成果が国際的に通用するのか不安で、発表は緊張することも多かった。ところで私には医者になって誇れることがある。それは一度も病欠したことがないという事実だ。病気をしなかったのではない。むしろ随分病気をしたと思うのだが、とにかく休まなかった。鈍感力のなせる業た。当時の病棟には患者が死亡退院したり、転院したりして余った点滴ボトルや抗生物質があったため、それを拝借して自分で自分に点滴をしたことも少なくなかった。右手で針を持ち、左手に駆血帯を巻き、アルコール綿で消毒して針を刺す。書いてしまえばそれだけだが、自分で自分の手に駆血帯を巻くのはちょっとした技術がいるし、何より、自分自身の血管に針を刺すのには、その瞬間に痛みを実感するため、防御反応が起こり、一寸した勇気と決断がいる。そんなとき、患者行ってきた、採血や注射、穿刺などの行為が、結局他人事だったのだと思い知らされる。この映画は「痛み」という厄介な感覚のことをそして、何よりアーロンの屈強な忍耐力のことを思い知らされる。
痛みの根源は感覚神経を介した痛みの伝達である。私は特に遺伝性ニューロパチーの診療・研究をしているので、診断確定のため、多くの患者の神経生検をしてきた。体の中で唯一倫理的に許されている神経生検の部位は踵から足先を走っている腓腹神経である。神経組織の損傷を防ぐため、局所麻酔をするのは表皮のみで、神経自体には麻酔薬は届かない。患者さんには神経が切断される瞬間、痛みの感覚は、健常人のものと変わらず、かなりの痛みを強いることになる。アーロンの場合、二の腕を切断したが、二の腕を走るかなりの数の神経を麻酔なしに切断したことになる。壮絶な痛みであったろう。まだ、麻酔薬が開発されていないときの外科手術では、失神した患者も少なくなかった。小説「花岡青洲の妻」では花岡青洲がそうした背景があったからこそ、妻の視力を犠牲にしてまで麻酔薬を開発した背景を紹介している。
遺伝性ニューロパチーは末梢の運動神経が主に障害されるシャルコ・マリー・ツース病のような疾患と、感覚神経が先行して障害される家族性アミロイドポリニューロパチーのような疾患に大別される。後者の場合は発症初期から灼熱感を共なった痛みやしびれが主訴となり患者を悩ませる。時折激しく身中を走るような強烈な電撃痛を訴えることも少なくない。糖尿病によるニューロパチーも糖尿病網膜症、腎症に加え、神経症が主訴になる。多くは感覚障害が先行し、強いしびれや痛みを訴える患者が少なくない。痛みとかゆみは手におえない。かゆみのほうは抗ヒスタミン剤で一時的に止めることが出来るが、痛みは神経ブロックや飲み薬はあるが、結構副作用も多く、全くそうした薬剤が効果のないいわゆる中枢性の痛みと言われる類のものも少なくない。
この映画は、孤独を愛するかに見えるアーロンが、結局、家族やまだ見ぬ「未来の子供」のイメージに励まされながら最期の力を振り絞るところが圧巻である。結局ヒトは一人では生きられないという当たり前のことを教えてくれる。アーロンはそれまでの人生の中で、それほど人を意識し、大事にはしてこなかったようだ。しかし絶望の中で彼の心に去来したものは、普段それほど大切にしていなかった両親、妹、恋人、友人のことである。絶望の中で、近々結婚する妹の結婚式に出ることが出来なくなることを心配したりするのは、遺伝子の半分を共有するきょうだいに対するヒトという生命体の根源的な感性なのかもしれない。映画では最後に実在のアーロンとその妻が紹介される。映画自体はフィクションであるが、ほぼ忠実にアーロンの身に起こったことを再現している。それにしても片腕になった今も、一人でクライミングをしているというからこの男はよほど自然が好きなのであろう。